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コンサートレポート
白石知雄氏「作曲家シリーズ」

メンデルスゾーンの内に秘めた強い思い
(2010/11/26、白石知雄)

銀行家の長男に生まれたメンデルスゾーンは、当時の一流の人たちから正真正銘の英才教育を受けた作曲家。上流社会のマナーを身につけるようにして、伝統的な作曲技法を習得しているので、彼の書いた楽譜は、甘く穏健なメロディーからは想像ができないくらい厳しく音が選び抜かれている。今年の秋の「作曲家シリーズ」最終回で、これまで、どちらかというとダイナミックな音楽に取り組むことが多かった下川麗子がメンデルスゾーンに初めて本格的に取り組んだ。下川は、来年、作曲者ゆかりのライプチヒでの演奏を予定しているとのことで、それを見据えた上での今回のプログラムである。

「無言歌」からの4曲は、第1番「甘い思い出」と第25番「五月のそよ風」の抑えた表現、第9番「慰め」の祈るように切実な表情に、この演奏会に新たな気持ちで臨む覚悟が感じられた。そして第30番「春の歌」は、曲のフォルムを崩さない範囲で、旋律に思い切った陰影を付け加える。メンデルスゾーンが内に秘めていたかもしれない強い気持ちを汲み取る意欲的な演奏だった。幻想曲「スコットランド・ソナタ」も、響きが大きく広がって、ユニークなメンデルスゾーン解釈を予感させる。

ヴァイオリンの八幡順、チェロの大町剛が加わる後半のピアノ三重奏曲第1番は、ヴァイオリンの隅々までコントロールされた語り口で、演奏の基調が決まった。チェロは機敏で、如才なく気を配るパートナーの役回り。ピアノも、気苦労の多いやっかいなパートを落ち着いてこなした。それぞれの楽器が、節度を保ちながら連携することで、美しい正三角形を作る。各々の気遣いがきれいに実を結ぶ演奏だった。

白石知雄(「作曲家シリーズ」構成・監修、音楽評論家)

 

天上から舞い降りる響き、高い山を登り切る達成感
(2010/11/22、白石知雄)

セザール・フランクの音楽は、かけがえのない魅力的な瞬間を多く含むが、ひとつひとつの作品の密度が高いので、一度に弾くのは大変。「作曲家シリーズ」今秋第4回で、芦刈元子がこの難事業に果敢に挑戦してくれた。

しかし、彼女には、何か適性のようなものがあるのかもしれない。オルガン曲をピアノに移した「前奏曲、フーガと変奏曲」は、特別なことをやっているそぶりもなく、低音をしっかり鳴らすオルガン風のバランスでフーガを着実にこなして、大げさすぎない形にまとまっていた。

代表作の「前奏曲、コラールとフーガ」も同じように安定した歩み、かと思いきや、中間のコラールの入りで不意を突かれる。一面に広がる分散和音を、まるでハープの音が天上から地上へ降り注ぐように、とっておきの優しいタッチで弾き始めるのだ。これで一挙に、作品世界の構図が立体的になった。フーガが次第に盛り上がる様子は、高い山を登り切る達成感を感じさせた。

日比浩一を迎えたヴァイオリン・ソナタは、ややスタミナ切れだったかもしれない。ヴァイオリンが第1楽章で柔軟に揺れ動く表情は印象的だった。アンコールに、珍しいヴァイオリン小品「アンダンティーノ・キエトーソ」と「人形の夢」を取り上げて、フランクの知られざる一面に光を当ててくれたのが嬉しい。

白石知雄(「作曲家シリーズ」構成・監修、音楽評論家)

 

本物を見抜くピアニストの目
(2010/11/7、白石知雄)

今秋の「作曲家シリーズ」第3回はプロコフィエフ。鋼のようなタッチで懐古趣味を粉砕する重戦車のイメージで語られる作曲家ではある。しかし今回の上田多嘉子の演奏会は、作曲家に対する思いより前に、まず、彼女が岩谷祐之のヴァイオリンの音色に惚れ込んで、彼と共演したいと希望したというところからはじまった。

後半で演奏されたヴァイオリン・ソナタ第1番での岩谷の演奏は、期待通り魅力的なものだった。耳にザラリとしたひっかかりを感じさせる音色は、むしろ個性的でロシアの音楽にぴったりだし、音の芯はピンと張りつめて、音楽のイメージがぼやけることはない。アンサンブルの難所にも落ち着いて対処して、関西フィルハーモニー管弦楽団コンサートマスターの経験なのか、包容力すら感じさせた。

前半の「つかの間の幻影」抜粋は、平易な小品集のような体裁だが、手品のように気の利いた演出が施されていて、意外に手強い。「ロメオとジュリエット」からの2曲、"少女ジュリエット"と"モンタギュー家とキャピュレット家"を挟み、ピアノソナタ第4番は、鍵盤を真っ直ぐに捉えて、ストレートな演奏を組み立てて、上田のスタイルと作品のスタイルがぴったりかみ合っていたのではないだろうか。

また、アンコールでは、高音域の分散和音が印象派のように色とりどりにきらめく「前奏曲」を弾いてくれた。予想外の選曲、清涼感のある演奏で、こういう何気ない選曲に、岩谷に惚れ込んだのと同じ、上田の良いものを選ぶセンスの良さが表れていたように思う。

白石知雄(「作曲家シリーズ」構成・監修、音楽評論家)

 

チョロとの共演で広がるショパンの世界
(2010/10/17、白石知雄)

思えば、3年半前の「作曲家シリーズ」第1回が星裕子さんだった。そのときのテーマはシューマン。場所を移した2回目の登場は、同い年生まれで、やはり生誕200年となるショパンの特集である。同じ年に生まれたロマン派といっても作風は随分と違う。4年越しで聴き比べる演奏会になった。

「3つのマズルカ」作品59が落ち着いた雰囲気ではじまって、ああ、こういう人だったと記憶がよみがえる。イ短調の第1曲から、変イ長調の第2曲へ映って、過剰に声を荒らげない長所の出た演奏になる。ソナタ第3番も、第1楽章からしっとりした歌を聴かせてくれた。

そして後半は、チェロ・ソナタで近藤浩志と共演する。ピアノという楽器は、独奏で自己完結できてしまうので、どうしても一定の枠内に音楽を収めようとしてしまいがちだが、近藤は圧倒的な迫力で、共演者を広い世界へ連れ出してくれた。第1楽章の冒頭から、大柄な歌いっぷりで、ある種の熱っぽさを感じさせて、聴き手を釘付けにする。そして第3楽章が本当に美しかった。最後にチェロが低音の支えに回り、その上にピアノが柔らかく乗る。2つの楽器が融け合う和音は、極上の残り香のような余韻を残す。忘れられない瞬間だった。

白石知雄(「作曲家シリーズ」構成・監修、音楽評論家)

 

ピアノとクラリネットで綴るシューマンのファンタジー
(2010/9/26、白石知雄)

4年目に入った「作曲家シリーズ」、今秋はザ・フェニックスホールに場所を移して、5回のシリーズでお届けすることになった。ピアノ・ソロとゲストを迎えた室内楽を組み合わせるスタイルはこれまでと変わらない。演奏空間は一回り大きくなったが、2階席もステージをさほど遠く感じることのない配置なので、変わらずアット・ホームな雰囲気で進めることができているように思う。

今年は、ロマン派の二大ピアノ作曲家の記念の年で、もちろん、このシリーズにもショパンとシューマンが含まれている。今秋第1回の福井真裕子は、さっそく生誕200年を迎えたシューマンの特集である。

ファンタジーをテーマにして、前半に「幻想小曲集」という同じタイトルのピアノ曲と、クラリネット曲(福井聡との共演)を並べて、後半はピアノ独奏の「幻想曲」。福井の演奏は折り目正しく、「飛翔」や「夜に」などでは芯の強さを感じさせた。二重奏も音楽的にはピアノ主導で、その上に福井聡のクラリネットの柔らかい響きが加わる形。タイトルは同じだが、こちらは秋を感じさせるしっとりした演奏になった。

後半の「幻想曲」は入りくんだ構成の作品だが、ピアノに迷いはない。第2楽章も安定している。そして第3楽章では、くっきりと複数の声が絡み合う様子が手に取るようにわかる。耳が良く、客観的に音楽の形をとらえる堅実なシューマンだったと思う。

白石知雄(「作曲家シリーズ」構成・監修、音楽評論家)

 

(2009/11/26、白石知雄)

「木曜リサイタル〜作曲家シリーズ」、この秋の第四夜は、土井緑によるショパン。二つの大作、ピアノ・ソナタ第2番と、近藤浩志を迎えたチェロ・ソナタを並べたプログラムである。

土井のピアノは、作品自体の力で客席を圧倒するタイプと言えるかもしれない。迷いのない歩みで、音楽の幹を見失わない演奏だった。変ロ短調ソナタの第3楽章、葬送行進曲の後半で巨大な音像がぐいぐい迫ってくるのは、圧倒的な場面だった。ただし、メロディーの端々には、ふとひと息つく瞬間がある。今回は、はっきり表に出てくることはなかったけれど、小品を中心に据えると、もしかすると、まったく違った一面を見せてくれるのではないか。演奏を聞きながら、つい、そんなことも空想してしまった。

大阪フィル以外に、アンサンブル・ベガやソロでも幅広く活動する近藤だが、ショパンのソナタを人前で弾くのは、実は初めてとのことだった。深い呼吸、朗々とした響きは、満を持した演奏の手応えを感じさせる。第3楽章の思わず吸い寄せられてしまいそうなメロディーから、最後は騎士道風に端正な第4楽章へ。

ムラマツ・リサイタルホール新大阪での3年間には、これが初リサイタルという人もいたし、おそらく日本初演となる珍しい作品の紹介もあった。色々なことに挑戦してきたこのシリーズだが、初顔合わせとなる二人が、フィナーレを大輪の華で飾ってくれた。

白石知雄(「木曜リサイタル」構成・監修、音楽評論家)

 

大胆で繊細なドビュッシー
(2009/11/12、白石知雄)

フランス音楽特集ということになると、どうしてもドビュッシーは欠かせない。ムラマツ・リサイタルホール新大阪の「木曜リサイタル〜作曲家シリーズ」、この秋の第3夜、笠原純子のピアノ・リサイタルは、押しも押されぬ代表作の「前奏曲集第1集」と、初期のピアノ三重奏曲。小品で水増しせずに本題に入るこのシリーズらしいプログラムだったと思う。

色彩がゆらめく印象派絵画への連想から、ドビュッシーの音楽は、あいまいで移ろいやすく、つかみどころがないと言われることもある。確かに謎めいてはいるし、口数は少ない。でも、実は、言うべきことを言い切っているのではいか。笠原の演奏を聴きながら、そんなことを考えた。

硬く決めつけるような弾き方ではないのだけれど、音は冴え冴えとして、どのようなタッチで、どの程度の明瞭さやぼかしを入れるのか、曲想をどういうタイミングで変化させていくか、常に狙いがはっきりしている。迷いがない。演奏自体は丁寧で、たっぷり時間をかけて一音ずつ読み解いてゆくのだけれど、曲間に思わせぶりな間合いを取ることはなく、一曲が終わると、サッと次へ切り替えるので、曲と曲とのコントラストがはっきりする。繊細さと、映画のモンタージュを思わせる大胆さのバランスが絶妙だった。

ピアノ三重奏曲は、サロン風の甘い響きや、若者らしい覇気があって、後年のイメージとは随分違う曲だが、笠原は、常に新しいものを求める姿勢が一環している、と見ているようだった。ヴァイオリンの井上隆平とチェロの日野俊介が、柔らかく流れるような曲線で歌おうとする一方で、ピアノの音はマス目にぴたりと収まる。ドビュッシーは、音楽院では反逆児だったと伝えられているけれど、それでもこの頃の楽譜は、音を厳しく追いつめるフランスのエリートのやり方で書かれている。自由に動こうとする衝動と、音で楽譜を埋めてしまう学生の習い性のバランスは危うい。綱渡りのスリルが演奏から伝わるところが興味深かった。たぶん、こういう曲なのだと思う。

白石知雄(「木曜リサイタル」構成・監修、音楽評論家)

 

フランクの慌てず揺るぎない歩み
(2009/11/5、白石知雄)

ムラマツ・リサイタルホール新大阪の「木曜リサイタル〜作曲家シリーズ」、この秋のコンセプトは、ライプチヒのブリュットナー社製ピアノで弾くフランス音楽だが、全4回の第2夜は、木下たまみがフランクを弾いた。もちろん彼はベルギー出身だが、長年ほとんど注目を浴びることなく教会のオルガンを弾き、世の中の情勢が変わった晩年に、周囲から掌を返したように持ち上げられる浮き沈みは、大都会パリでなければあり得ないだろう。

演奏会前半は「前奏曲、アリアと終曲」。会場は、ピアノを通して木下が音楽と対話する様子を傍らで見守るという雰囲気だった。特別な演出を施すわけではなく、その分、意外に起伏のある展開が素直に耳に入る。3つの曲が相互に響き合う仕掛けも、癖のない演奏なので把握しやすい。すべてが収まるべきところへ収まるまでの道のりをゆったり体験することができた。別の小品を前後に置かず、質素な教会の祭壇画を正面からじっくり眺めるような贅沢な時間の使い方ができるのは、公演時間を短めに設定している「木曜リサイタル」の利点かもしれない。

後半は「ヴァイオリン・ソナタ」、共演は若手の木須すみれ。凛とした音で、ストイックすぎるかと思うほど弓の動きを抑制する清潔な演奏だった。ピアノは、びっしり書き込まれた譜面と挌闘する場面がどうしても出てきてしまうが、ヴァイオリンは集中力を切ることなく歌い上げた。前半の独奏曲と違って波瀾万丈の音楽だが、演奏は、フランクらしい真っ直ぐ一本筋の通ったものになっていたのではないだろうか。

白石知雄(「木曜リサイタル」構成・監修、音楽評論家)

 

ラヴェルは一見クールな完璧主義者だけれど…
(2009/10/29、白石知雄)

外気が急に冷たくなって、そろそろ上着が欠かせない。そういえば、すっかり日が短くなった。そうなると、ムラマツ・リサイタルホール新大阪「木曜リサイタル〜作曲家シリーズ」の季節。この秋は、全4回を通してライプチヒのブリュットナー社のピアノを使い、ひと味違ったフランス音楽特集である。

第1回目は、加藤理彩子によるラヴェル。ある本で見つけた「ラヴェルには深い優しさがある」という言葉が強く印象に残っている、と彼女はトーク・コーナーで語ってくれた。1曲目の「ソナチネ」を慈しむように弾いたのは、そういうことだったのかと納得する。この作曲家を「クールな完璧主義」などと決めつけないほうがいい、ということだと思う。

2曲目の「高雅で感傷的なワルツ」は、ダイナミックな起伏を付けて、思い切りの良い演奏だが、それでも、弱音の箇所は、ブリュットナー特有の良い意味でくすんだ音がして、サロン風の味わいになる。こんな面もあり、ここはまた違った感じ……と、自然体で曲想の変化に寄り沿う演奏だった。

後半は、岩谷裕之を迎えて、「子守唄」と「ヴァイオリン・ソナタ」。朗々と楽器を鳴らして、関西フィルハーモニー管弦楽団のコンサートマスター席にいるときと同じように、音楽をぐいぐい引っ張っていく。ソナタ第3楽章のスピード感は、なるほど第一次世界大戦が終わって、自動車が街を滑走する時代の音楽。ラヴェルが一挙に若返る印象だった。それでも、パートナーの存在を無視しているわけではないし、加藤のピアノも、迫力満点のヴァイオリンを無理せず上手に受け止めた。

白石知雄(「木曜リサイタル」構成・監修、音楽評論家)

 

ムソルグスキー降臨
(2009/6/25、白石知雄)

「木曜リサイタル〜作曲家シリーズ」今期の最終回は森口綾子と、ソプラノのスビャーギナ章子によるムソルグスキー特集。歌曲集「子供部屋」と組曲「展覧会の絵」の組み合わせである。

「子供部屋」の歌詞は、格調高く言葉の調子を整えた文学的な「詩」ではない。ばあやに甘えたり、お人形に話しかけたり、かぶとむしに怯えたり……、現実世界の中で生きている子供の言葉がそのまま封じ込められている。今回は、実際に身体を動かして、必要とあれば小道具も用意して、言葉の背後にある現実を舞台上に呼び戻そうとする演奏だった。曲間に詩の内容を演奏者の二人でわかりやすく解説しながらの進行で、声色や口調の面白さが生き生きと伝わってきた。

森口は、ムソルグスキーは決して粗野ではなく、モーツァルトに負けないほど一音一音を厳選した「ピュア」な音楽だと言う。たしかに、「展覧会の絵」のプロムナードを彼女が丁寧に弾くと、実に美しい曲線を描く「歌」が聞こえてくる。道ばたの汚い石ころと思っていたものが、泥やホコリを払いのけると、優しくほほえむ聖母像だったというわけだ。

こびとが耳に直接ぶつかってきそうな実在感で痙攣するかと思えば、次のプロムナードは向こう側が透けて見える半透明のピアニシモ、チュイルリーの子供たちは羽毛のように軽いタッチ、牛車はズルズル引きずる重い足取り。「瞬間の真実」をつかみ取る手つきは、案外ドビュッシーやラヴェルに近い。

とはいえ、ひたすらキレイで清潔で、牙を抜かれた「お上品」な演奏というわけではない。「バーバ・ヤーガ」では、ヴィルトゥオージティを炸裂させた。やるときはやる。一切の因襲を吹き飛ばす団十郎の「荒事」の所作、拘束具を食い破るエヴァンゲリヲン覚醒と言ったところか。そして獰猛な怪物性を本気で解放したあとだと、「キエフの大門」が、地霊を鎮める荘厳な鐘の響きそのものだと思えてくる。「カタコンブ」のあとに死者と対話する場面があるけれど、この作品には、ロシアの大地に潜む「何か」を呼び覚ます呪術的な力がある。霊媒師が自らの肉体に祖霊を降ろすように、本気で「なりきる」のがムソルグスキーのリアリズム。そのことを圧倒的な説得力で教えられる演奏会だった。

白石知雄(「木曜リサイタル」構成・監修、音楽評論家)

 

男たちのモーツァルト
(2009/6/18、白石知雄)

モーツァルトを弾くとなると、どうしても古典派特有の「作法」が問題になる。鬘を付けて、宮廷の装束を身に纏ったコスチューム・プレイのように、18世紀のロココ調で「演技する」ことになりかねない。音色も、金銀財宝をちりばめた華やかな王宮への連想から、キラキラ輝くタッチに傾きがちだ。でも、「木曜リサイタル〜作曲家シリーズ」今期第5回の中村勝樹は、こうした演奏に向いていると思えるスタインウェイではなく、ワイマール留学中から馴染みがあるというブリュットナーを選んで、借り物ではない「自分の声」が響くモーツァルトを聞かせてくれた。

前半は、ハ短調の幻想曲K.475と同じ調のソナタK.457。「間」の取り方が良く、落ち着いて次を準備しながら弾き進めるので、幻想曲の曲想の変転が素直に耳に届く。ソナタも、特に第2楽章で旋律が中低音域に移ると、ブリュットナーの渋い音色が生きる。ソプラノで声を転がすのではなく、テノールやバリトンの肉声で歌っているみたいだった。第3楽章の流れを苛立たしく断ち切るようなパッセージも、遠慮なく踏み込み、きれい事では終わらせない。

後半の室内楽は、ヴァイオリンがギオルギ・バブアゼ、チェロは日野俊介。男性三人が並ぶ舞台の光景は、まるでフリーメイソンの集会のようだ。実際には、この曲は弟子の子女のピアノを想定して書かれたらしいのだけれど、古い「伴奏つきピアノ・ソナタ」の枠を脱してチェロが自由に歌い、ピアノと弦楽器の対話が緊密なので、遠慮のない仲間同士の「対話」に聞こえる。第1楽章は、軽やかな疾走の意識が強すぎたのか少々慌ただしかったが、第3楽章の変奏曲は、協奏曲風の見せ場もあり、聴き応え十分。

アンコール曲は、がらりと気分を変えて、「グラス・ハーモニカのためのアダージォ」。高音域の共鳴弦が効果を発揮する。この楽器の特徴を良くわかっているな、と思わせる心憎い選曲だった。

白石知雄(「木曜リサイタル」構成・監修、音楽評論家)

 

ベートーヴェンを弾くということ
(2009/5/28、白石知雄)

つつましいプログラムだが、滋味あふれる演奏で、終わってみると豊かな気持ちになる。そんな茶道のワビサビを感じさせる演奏会もあるけれど、「木曜リサイタル〜作曲家シリーズ」この春の第4回、志賀雅子のリサイタルは、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ「熱情」とヴァイオリン・ソナタ「クロイツェル」という2つの大曲を並べて、いわば、表通りに高くそびる立派な門構えの演奏会になった(新大阪ムラマツリサイタルホール)。

とはいえ、演奏は慌てず騒がず、もったいぶって間合いをたっぷり取るようなこともせず、テンポは安定して、確実な打鍵で進む。作品が立派なのであって、ピアニストはそれをそのまま差し出せばいい、そんな演奏と言えるだろうか。過剰な演出なしに「再生」されると、「熱情」という作品が、ダイナミックで英雄的なだけではなく、通常の短調・長調を歪める不思議な音程を数多く含んでいることがわかってくる。ベートーヴェンを既によくわかっているつもりになってはいけないのだと、改めて思う。

菊本恭子を迎えたヴァイオリン・ソナタも、第2楽章を含めて、後ろを振り返らず、先へ先へと進むタイプの演奏だった。確かにこの曲の譜面は、当時の室内楽曲としては例外的に協奏曲風で、ピアノが出ずっぱりで弾かねばならないかのようではあるけれど、ややヴァイオリンに負荷がかかり過ぎていたかもしれない。とはいえ、堂々と弾き切った二人は立派だったし、息もつかせぬライブ感あふれる演奏だったのは間違いない。ベートーヴェンの音楽は、怯むことなく挑戦すれば、一定の効果をもたらしてくれる。クラシック音楽には、懐の深い作品を繰り返し実演して伝承する、古典芸能の一面が確かにある。

白石知雄(「木曜リサイタル」構成・監修、音楽評論家)

 

ザレンプスキ発見
(2009/5/21、白石知雄)

ユリウシュ・ザレンプスキ(1854-1885)は、ポーランド音楽史で言えば、ショパンとシマノフスキの間をつなぐ存在。同国に生まれて、ウィーンとペテルブルクの音楽院を優秀な成績で卒業し、20歳頃から演奏活動に入る。リストに見出され、26歳でベルギー、ブリュッセル音楽院教授に就任するなど、生前の活躍は華やかで国際的だった。しかし、死後忘れられてしまう。本腰を入れて創作に取り組もうとした矢先に、結核を患い、わずか31歳で夭逝したからである。湊谷亜由美が、「木曜リサイタル」今春第3回として、1882年作曲の組曲「薔薇と刺」(おそらく日本初演)と、亡くなった年に書かれたピアノ五重奏曲(おそらく関西初演)を紹介してくれた。

サロン風の甘い響きはショパンに近いけれど、曲は半音階的に横滑りを繰り返して、それなのに、最後はちゃんと辻褄が合う。全体を見わたす構想力や、舞台映えする押し出しの良さがあって、リストが期待をかけただけある器の大きい音楽だった。しかも、これでもかと歌い上げたり、熱狂的に踊る感じはスラヴ風で、どことなくチャイコフスキーにも似ている。

なかでも、後半のピアノ五重奏曲(ヴァイオリン:稲庭達、林泉、ヴィオラ:植田延江、チェロ:林裕)は、聴きごたえのある大作だった。悲劇的な第一楽章から、第四楽章の大団円までスケールが大きく、弦楽器に魅力的なメロディーを用意しつつ、スリリングなアンサンブルの難所もあって、飽きさせない。この調子で長生きしていれば、ザレンプスキはきっと立派なオーケストラ曲を書いたに違いない。良い作曲家だ。

湊谷のピアノが怯えずに堂々とリードして欲しい箇所もあったが、共演者の集中力が素晴らしく、曲の魅力は確実に伝わったと思う。それぞれの作曲家に光を当てたい、というこの「作曲家シリーズ」の看板が生きるコンサートになった。

白石知雄(「木曜リサイタル」構成・監修、音楽評論家)

 

晩年のブラームスにクララ・シューマンを聴く
(2009/5/14、白石知雄)

「木曜リサイタル〜作曲家シリーズ」で、2年前にシューベルトの幻想曲ヘ短調で松村英臣と共演した兼光祐佳が、今度は一晩の主役になった。同シリーズ今春第2回のテーマはブラームス。曲目は、前半のソロが小品集作品118と119。後半は、ヴァイオリンの日比浩一、ホルンの池田重一を迎えてホルン三重奏曲。兼光は、真っ直ぐに伸びる音で、考え込み過ぎない素直なピアノを聴かせてくれた。

それにしても、彼女の年齢で、ブラームスの後期作品に共感できるものなのか?
冒頭の挨拶で、私は「晩年の曲と言っても、作曲時の実年齢はまだ60歳。本当に老いたと言えるのか、内心は複雑だったかもしれません」と解説させてもらったのだが、兼光の演奏はさらに踏み込んで若い。作品118の「前奏曲」は、重い扉を勢いよく開き、社交界へデビューするかのように華やかで、「間奏曲」のメロディーは、ショパン風にエレガントに身を翻す。演奏後のトーク・コーナーで、兼光は、クララ・シューマンに献呈されたこの曲集に、ブラームスとクララが会話をするような箇所があると言っていた。ブラームスから見たクララ・シューマンの肖像、しかも、二人が出会った頃のクララのイメージに引き寄せる演奏だったと言えるかもしれない。

後半の室内楽は、表情豊かなヴァイオリン、野趣を残したホルン、それぞれの個性が自然に生きるように書かれているわけだが、今回はそれぞれの主張以上に、細やかな気遣いが感じられるアンサンブルだった。兼光のピアノも、多少浮き足立つところはあるが、基本的には周りの音をよく聴いている印象で、収まりが良い。この経験をもとに、次は、本当の意味で独り立ちして、臆せず他流仕合ができるようになって欲しい。

白石知雄(「木曜リサイタル」構成・監修、音楽評論家)

 

ピアノ主体の室内楽という贅沢
(2009/5/7、白石知雄)

2009年5月7日(木)19:30
「木曜リサイタル」作曲家シリーズ@シューベルト加藤あや子ピアノリサイタル

漆黒のグランドピアノが鎮座するサロンに、多彩なゲストを招く社交のひとと。 -- ピアノ主体の室内楽には、そんな華やいだ雰囲気がある。いかにも19世紀のヨー ロッパらしい、上品で、さりげなく贅沢なジャンルだ。

ピアノ独奏と室内楽を組み合わせて、午後七時半からはじまる大阪ナイトカルチャー事業、ムラマツリサイタルホール新大阪の「木曜リサイタル〜作曲家シリーズ」は3年目に入った。春の全6回シリーズの初日(5月7日)は加藤あや子によるシューベルト。曲目は、晩年の大作、ソナタ変ロ長調D960と、大阪フィルのチェロ奏者、庄司拓を迎えたアルペッジョーネ・ソナタ。会場には、初めてのお客さんに混じって、過去の出演者の顔も見える。ステージと客席が近いサロン風のコンサートである。

このホールが備えるライプチヒ、ブリュートナー社のピアノは、中低音の木目調の響きと、高音域の共鳴弦の輝きが相まって、独特の味わいをもつ。この楽器をどう弾くか、というのが毎回の聞き所のひとつ。加藤さんの変ロ長調ソナタは、霧の中でさまようように始まって、最後の楽章で、遂に輪郭のくっきりした出口が見える。強弱の変化を抑えて、和声や音色の移ろいが表に出るスタイルだが、靄の向こうから聞こえるフレージングは、古典派風の句読点を保っていた。慣れない楽器での試行錯誤はあっただろうけれど、古典的な語法と夢見がちの気分が二重写しになり、面白い効果を上げていた。

チェロの庄司拓は譜面台を置かず、暗譜での演奏だった。オーケストラ演奏とは違う「独り立ち」の意気込みが伝わってくる。さすらいの悲歌を思わせる冒頭からリズミカルな楽想への移行も、自然で無理がない。お行儀のよい進行の中で、主張すべきはきちんと言う存在感のある演奏だった。

留学時代に、廃墟めいたドレスデンの教会でアルペッジョーネ・ソナタを聴いた思い出、相愛大学時代の後輩だという庄司さんとの縁など、トーク・コーナーでは、興味深いお話と、加藤さんの飾らない人柄で客席が沸いた。暖かい雰囲気が育ちつつあると、秘かに自負するこのシリーズ。是非、会場へ足を運び、多くの方に体感していただきたいと思っています。

白石知雄(「木曜リサイタル」構成・監修、音楽評論家)