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11/26(土)神戸新聞松方ホール
「小松英典バリトンリサイタル」 嶋田邦雄
「明晰な発声」などという表現は小松英典の場合、何を評価したことにもならないだろう。透き通るように明瞭で、聴衆を即座に包み込む発声は小松のコンサートを独特の雰囲気へと構成する大きな要素だ。明瞭でしかも暖かい。まさに"begabt(天性)"の声で、あれやこれやの評論が空しく敗退してしまうような気さえする。11月26日のリサイタル(神戸新聞松方ホール)はその一つの典型と言える。
前半の冒頭に置いたR.シューマンの「リーダークライス」で小松はJ.F.アイヒェンドルフの歌詞の"言葉"自体を一旦、シューマンの音楽の中に溶融した後、再び新しい意味を獲得した"新しい言葉"として再構成しているように私には思える。単に明瞭に歌っているのではない。Liedとしての意味を背負った言葉として再生(Wiedergeburt)しているのだ。第3曲の"森の語らい"にはあのローレライが登場する。ハイネの「ローレライ」では遙か遠くの岩礁の高みから美しい歌で船人を惑わし、難破させるローレライがここでは、森の中で旅人と向かい合っている。冒頭と最後に「夜は更け、外は寒い(Es ist schon spät, es ist schon kalt)」の詞。それは人生の青春の初めにもう終末を予感するような不気味さを秘めている。「あなたはもうこの森から決して出られないわ!(<Du>Kommst nimmermehr aus diesem Wald.)」の妖艶?なローレライの語りでこの曲(詩)は終わるが、小松はこれを魅惑と不安が綯い交ぜになったような不安定な、しかし憧れと希望を内包した"漂う若さ"を清冽さの中に翳りを込めて歌った。この清冽さの中の翳りは作品38の"Liederkreis"の12曲全体を通して通奏低音のように流れていた。彫りの深い"物語り像"が創り出されたのだ。
Liederkreis("歌の輪"、あるいは"歌曲集")としてはH.ハイネの詩を基にした9曲で構成される作品24もある。作品38と同じ1840年の歌曲集で、素直に愛を歌っている。小松だったらこれをどう処理するだろう、と別の興味もわいてきた。きっと直向きで素直な愛の中に微妙な"翳り"を忍び込ませるのではないか。シューマン特有の"暗い情熱"がハイネの痛みを抱える直向きさの中から紡ぎ出されるのではないだろうか。
続くメンデルスゾーンの「挨拶」、「葦の歌」、「もう一つの五月の歌"魔女の歌"」では音色に心持ち艶を増して歌曲の多様な世界が演出された。十九世紀・中葉に向かうヨーロッパの矛盾と希望の入り交じる社会が屈折した形で反映されているロマン派の詩人や音楽家――その内面を小松の歌唱は的確に引き出していた。ピアノの金井信の伴奏も巧みである。
後半は興味深いプログラム編成だ。先ず、日本の歌曲7曲。山田耕筰の「かやの木山」、藤井清水「信田の藪」、平井康三郎「平城山」、橋本国彦「富士山みたら」に続いて中山晋平の「波浮の港」、「ゴンドラの歌」と「出船の港」が歌われた。明瞭な日本語が実に美しい。あえてこんなことを言うのは、何を歌っているのか分からないような歌手も少なくないからだ。小松はこの7曲で日本の姿、自然と、そこに生きる民衆を描き出したのではないだろうか。「出船の港」では冒頭の「どんと、どんと、どんと波乗り越えて……」の個所を会場の聴衆に唱和するよう誘いかけた。そうか。後半では聴衆参加のコンサートを考えていたのだろう。ニューイヤー・コンサートでの定番「ラデツキー行進曲」(曲自体も1848年に北イタリアで起きたオーストリアからの独立革命鎮圧のために出陣したラデツキー将軍を讃える軍隊行進曲ではないか)が厭で、私はいつもパスしているが、小松が意図したような唱和は本当に気持ちが良い。日本の歌曲がこのような形でコンサートの中で復権するのもうれしい。
最後に配置されたのはC.グノーのオペラ『フィルモンとボーシス』から"ジュピターの子守歌"とH.ベルリオーズの劇的物語『ファウストの劫罰』より"メフィストフェレスのセレナード"、N.オリヴィエーロのカンツォーネ「三日月」に続いてラルフ・P・エルヴィンのコンチネンタル・タンゴ曲「奥様お手をどうぞ」、終曲はR.タウバーのオペレッタ『歌う夢』より"君は我が世界"である。どちらかと言えば俗世間の雰囲気と踵を接する曲。それをくだけた調子で、しかし上品さを失わずに歌うことは逆に至難の業と志向を要求されると思う。小松は上手かった。「『フィルモンとボーシス』の内容については私も知りません」とあっけらかんと語りかけたのも演出ではなかったかと思った。
私が特に注目したのはあの「奥様お手をどうぞ」だ。とにかく懐かしい。確か1928年の作品と記憶するが、どういうわけか私が住んでいたところ(長野県)では1950年前後にすごく流行っていた。汽車で高校へ通っていた時代だ。乗降する信越線(今は廃線になり、"信濃鉄道"とやらになってしまった)上田駅前の商店のスピーカーからは、かなり大きなヴォリュームで「奥様お手をどうぞ」や「碧空(Blauer Himmel)」などのコンチネンタル・タンゴが流されていた。どこか物悲しい、それでいて退廃への密かな憧れのようなものを内包する曲想を高校生の胸は敏感にとらえていたように思う。単なる懐旧で言うのではない。ナチスが台頭する1920年代中葉から30年代初めのドイツの混沌とした雰囲気を知識だけで知った子供が50年代に夢想した"憧れと拒絶"の錯綜した世界を2010年の神戸で思い出したのだ。現在の日本にどこか似たものがある。小松英典の「奥様お手をどうぞ」はあくまでも歌曲として歌われたものだ。だからこそ、時代を超えて作曲者が密かに抱いていた想いが今に伝えられたのだと思う。謝謝!
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